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いったいどんな未来を、あなたは夢見ているのだろう。 >>> 11月7日になりました。 どうも、鵜島です。 まずは先週末、福岡へ恒例の「第一土曜日書画教室」へ行ってまいりました!! いつも来てくださる皆様方も、初めましてのDさん(上手かった!!)も本当にありがとうございました!! もっともっと分かりやすく、丁寧にやっていきたいと思っています。 次回は12/7です♪ 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 さて。。 >>> 最近、未来が見えるようになってきました。 ( ̄◇ ̄;) いえ、それは、とりもなおさず、『自分』が見えるようになってきました。 どこか、人は「未来」を「自分がなにもしなかった場合の延長」で考えてしまいがちです。 ところが「何もしない」人なんているわけがありませんよね。。 これまで僕は、未来という定義を少し人任せにしていた部分があって、 『未来とは誰かと歩むもの』と思っていました。 この、『誰か』ということを定義しなくては、未来は揺らいでしまいます。 もちろん、複数の未来を持つことが出来るのは、現状複数の生活や人格を表現できている人には理解しやすいと思います。 「生活は分かるところもあるけど、複数の人格!?」と思う人もいるでしょう。 そこに疑問を抱く間、人はある種のパラドックスにおちいると思うのです。 場所や場面や状況で人格が変わらないとするならば… むしろ、未来は一方向です。 多種の人格を学ぶ。 そして未来を共有する人々の人格に、また学ぶ。 その時想定した「未来」へと時間が経過した時に、「どんなじぶんであるか」 それは、「経験」が教えてくれるでしょう。 >>> そんな、大きくて、本質的な話の出来る人が、今、僕のそばにいてくれることは、本当に嬉しく、ありがたいことだと、 思うのです。 拝 |
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10月11日。享年73歳。
書家である父、鵜島瑞光が亡くなってから、10日が過ぎました。 鵜島朴同です。 2日前から仕事のあと病院に泊まり、迫り来る父親の死を感じながら、その時の為の準備をするということ。 誰にでも訪れることなのに、まるで、その辺りからは夢の中でボーっとしているようで。 それでもやるべきことを考えて、動いている自分の姿が不思議で。。 枕経から通夜、葬儀は安芸典礼さん、寿徳寺さんのあたたかいご指導と支えのもと、無事に喪主としての務めを果たすことが出来ました。 それでも7日ごとの法要、法的な名義の変更、財務処理、相続分配など、山のようにあって、とにかくちんぷんかんぷん… 人に言われるままに動いています。 数日間は、父の遺品整理にあてましたが、とにかく「捨てる」という概念のなかった父。 メモ、書籍の類いはそれこそ膨大で、その中で取捨選択をしています。 書画教室を運営していく私たちですから、今後の指針になるもの、父が打ち立てた理念のようなものを見落とすまいと紙束をめくっていますが、本当にすさまじい量で…まだ20分の1も目を通していません。 …ということは、200日、半年以上かかると言うことだろうか… 本当にね。 誰にでも訪れることなのに、すみません。 この10日間、まったく自分のことから逃げていました。平行してやるべき、自分のことから。 サボタージュでも怠慢でもなく、うーん、本当に、自失しているという感じ。 メモの類いを整理している間、「それは捨てるな」「それはとっとけ」「捨てたらお仕舞いじゃ」と、父に非難されているような気分でしたが、 ようやく、「早よ、せんか」と、新しい言葉が聞こえてきました。 そうすると、今まで死んでいった百人くらいの、友達や知人たちの表情や顔や仕草や会話の端々が僕の中を巡って、かきまわして、舞い上がって、 ようやく、着地いたしました。 自分のところへ、戻ってきました。 そして、今も生きて、頑張っている友達たちの顔がどんどんと浮かび上がってきます。 本当の強さなんてものは、そもそも人からもらうものではないぞ、朴同。 頑張らなくては。 この場を借りて、いつも応援してくださる皆様への、ご報告とさせていただきます。 |
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メモ。神無月第一週。 〉〉〉 命 内側。 魂は外に。 心の中には、心だけ。 行動であらわす。 ... 〉〉〉 つくられた人になるな。つくる人になれ。 〉〉〉 生きている間は、いきいきとしていなさい。 ゲーテ 〉〉〉 低きに流れる摂理。 謙虚さをうしなっては、何も流れてこない。 〉〉〉 人が休んでいる時に休まない。 天才でないものの、生き方。 〉〉〉 宇宙の中の一つの星として、自分をイメージしてみれば、 生まれてきたことの意味が、よく分かる。 〉〉〉 自分から率先して近づく。 〉〉〉 鎖骨で感じる。 〉〉〉 坂村さんの言葉。 「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一 拝 |
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どうも鵜島です。
o(^-^)o 10/5。 恒例の第1土曜日、福岡TNC文化サークルでの書画教室 無事終了いたしました(^o^)/ 今回は、一度はお越しいただいた方ばかりでしたので、 進級コースの上級者の皆様以外は、皆さん同じ課題でした。 すでに一度以上は体験されている皆様のお陰で、ずいぶん僕は楽をさせてもらったような気がいたします(笑) どんどん会場にも道具にも慣れていって、書画に親しんでいただきたいです。 僕自身も、ようやく会場に慣れることができたようです。 4月からお世話になっていますので、 広島に移って、はや半年。 教室が終わったあとに、少し食事に行きましたが、年末12月の教室は早めに終了して、 六本松時代から来て下さっている方も、文化サークルで会えた方も、いっしょに忘年会に行こう!という話になりました(^o^)/ 僕の教室でそんな声があがるのは珍しい(笑) 本当に、ありがたい話です。 m(_ _)m |
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どうも、鵜島です。 最近お気に入りの言葉がふたつあります。 ひとつは、 >>> めんどうくさい という言葉からは何も生まれない。 >>> 出処は忘れましたが、これに似たような言葉に出会った時に、自分の中から生まれてきた言葉です。 で、ふたつめはコチラ。 >>> 1 足す 1 でよい 問題は、 足し続けることだ。
です。 これも何かを咀嚼( そしゃく )して、自分なりの言葉になったものだと思うのですが、記録がないので出処はわかりません。言葉は、瞬間瞬間、毎日10個前後は、メモする内容のモノがどんどんあふれてきます。 もう、何年前か、たぶん福岡で教室をひらいた時に気づいたのですが、「共有」するためには、言葉に出来ていないと、ちゃんと説明できません。 その先にある、ユニティ(一致、一体感)への到達もできません。 水墨画を教えるとき、僕がちゃんと説明できる言葉の中でしか、外因的な理解を得ることはできません。習字でもそうです。 直感で、僕の技やら経験やらを学ぶ人ばかりではありません。 言葉にする必要が、伝達者にはある、とおもいます。 もちろん直感すぐれている人もいれば、 伝達者の立場にいながら、難解な言葉を駆使するスタイルの人もいるでしょう。 でも、僕の価値観はあくまでも、「わかりやすく」です。 技術はすべて外面的なもの。 外面的なものがむつかしくなくてもよいと僕は考えます。 内面的なもので、必ず人は壁にぶつかります。 それは、どれだけ技術を追求した結果の壁だとしても、内面的なものに「技術の入り込む余地はない」のです。 内面がやがて迎える壁(スランプ、迷い)の手助けになるもの。 それは、外面の環境です。(あたりまえか) 僕は、そこを難しくしたくない。 しかしこれは、反面「甘え」を生む危険もあわせもっています。 伝達のための説明がちゃんと出来るように、様々な言葉をとらえていたい。 壁なんて、迷いなんて、どんどん超えていってほしい。 「できない」と墨筆で思ってもらいたくないのです。 軽やかに。楽しく。そして真面目に。 今週末、10/5(土)は毎月恒例の福岡書画教室。 今回も、楽しみです。 朴同 拝 |
