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【2024/04/20 20:53 】 |
被災地にて。

↑ 写真は奇跡の一本松。


こんばんは、鵜島です。
奇跡の一本松は、岩手県、陸前高田市にあります。どこかシンボル化されている印象を持っていましたが、今回、思い立って東日本大震災の被災地が今どうなっているか見たいと思った時、闇雲に旅行する時間はなかったので、そこを今回の「目的地」としました。

先週一週間、杉乃会ではお盆休みをいただきました。
8/12に壽徳寺のご住職が読経しにお越し下さいまして、みんなで父母の霊前に手を合わせました。
あとを姉妹にまかせて、広島空港から茨城へ。
翌日、埼玉県蕨市に行き、念願だった「河鍋暁斎記念美術館」へ。展示を観たり、ショップで書籍を物色したりであっという間に時間が過ぎて…
夕刻からの茨城での迎え火にも加えていただきました。


↑ 今回の旅中に購入した本。

翌日、宇都宮、福島、仙台を通過しつつ、岩手県一関市で一泊。
この時の後悔は、平泉に行こうかどうしようか迷っていて、少し遅めの時間だったので「明日、行けたら行こう」と思っていたんです。
ところが、夜ガイドブックを眺めてて気づいたのは、なんとその夜は一年に一回の中尊寺での神楽舞の日だったのです!猛烈に「行けばよかったー!」と2分ほど思いましたね。。

そして8/16。
この日は広島での送り火があるので、なんとしても被災地の今を見ておくためには、午前中には太平洋側へ出ておかねばなりません。
駅に行き、時間を確認すると…少ないんですよ、電車…
これでは今日中に広島に戻れないと思い、バスの時間を確認しに行くと…少ないんですよ、バス…
あわててレンタカー屋さんに連絡して、もぎとるように車をお借りして、小雨の降る中、一路、気仙沼へ。

気仙沼まで走りやすい道で、あっという間に気仙沼。
海沿いに出ると、長ーく土が盛り積まれていて、道からでは海が見えないところも。コンビニもプレハブ。
町中に入ると、海は見えやすくなりましたが、そこかしこに津波の爪痕が見られました。
ただ、見ること。
それだけで今後の人生に値するものを得るためには、感じ取ること。想像すること。
礎石だけになった家の敷地のあとに生い茂る雑草。
トラッカーたちのプレハブ。
一見、見えない場所に山積みにされた瓦礫。
放り出され、まとめられた土嚢袋。
四階部分まで窓硝子が割れたまま、放置された五階建てのアパート。
道端の献花。

気仙沼を通り過ぎ、陸前高田市へ。

その間、少し山道を走りましたが、山肌では大規模な土砂崩れのあとを見ました。
それは震災のあとのものなのか、その時のものなのかはわかりません。
ただ、見ました。

陸前高田市ではおよそ、想像もしていなかった光景が、待っていました。



フェンスの向こうに見えるのは、おびただしい数の高層ベルトコンベアーです。
高さ何メートルくらいでしょう、20メートル?いや、もっと高い。。?

ともかく、そのベルコンは、山合いから海沿いまで、猛烈な勢いで伸びていて、人間の復興するものすごいパワーを感じました。
記録的な写真などで見ると、震災の津波後、瓦礫の真っただ中にあったこの地域。今、山が削り取られ、海沿いへの堤防の役目も果たしながら、続々と新しい山を、街を、海沿い一帯につなげて、作り続けていました。
かつて、そこに何があったのか、僕には想像すら出来ません。
流されてしまった。だから今度は、高く高く、街をつくるんだ。という気構えのようなもの。
まだまだ途上ですけれども、おそるべきマンパワーです。

92億円で新型ステルス機を製造、などというお金があったら、被災地にもっと!と思っていた僕ですが、使うべきお金は使われているようです…でも92億円あったら、もっと進んでいるのでは…?わかりません。

そのあと、駐車場に停車して、ブログ冒頭の「奇跡の一本松」まで歩きました。

あいにく資料がありませんが、そこは長大な松原だったようです。その中で瓦礫の中、一本だけ残っていた松。まず間違いなく、シンボル化されている遺留品のひとつです。

これは僕の感想ですが、シンボル化されてどこか、観光地めいているその一本松の周辺のベルトコンベアー群。コンベアによって運ばれた土は山となり、いずれ街をつくる、その積み上げられた山の背後に、ブルで寄せられた未処理の瓦礫。
間違いなく人が集まってくる「奇跡の一本松」の周辺が優先的に工事されているように感じました。
裏側では、まだうずたかく、残されたままのものがある。

一本松付近を車で走り、止められる場所には車を停めてみたり。。
時間が限られていたので、帰路に少しだけ半島の方へも車を走らせましたが、僕が見たのはおそらく万分の一にも満たない、わずかな表面だけだったと思います。



写真はあんまり撮れませんでした。

一関に戻り、レンタカーを返し、新幹線、飛行機を乗り継いで、夜には広島で送り火をしていました。

とても駆け足だった旅。

津波は、3メートル以上もあったそうです。
3mの波が押しよせるだけでなく、巻き込まれた車や木々や建物や船やなにもかもが、いっきに押し寄せてくるのです。

考えることが沢山できました。ただ、まだ万分の一。また行きたいです、東北。

最後に、途中の電車の中で目にしたこと。
僕がたまたま見ただけの優しい人達だったのかも?

北関東以北の人達は、電車の席を立つ際に、近くにいる人に「もう降りますのでどうぞ」と声をかけている律儀な人が多かったです。
僕も、声をかけてもらいました。

都会では、何をかに怒ったように電車を降りる人も多い昨今、そういった気遣いに触れることが出来て、とても嬉しくなりました。




朴同


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【2014/08/22 01:20 】 | 水墨画 | 有り難いご意見(0)
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