時間の流れは早いものです。 それでも、生き生きと出会う人達には本当にエネルギーをもらいますね。本当に、日々此れ感謝です。 ここ数日は、今週末の広島、下関のために、色々取り散らかっていた書類やパソコン内の書式の整理をしています。おかげさまで、随分、動き易くなってきました。 杉乃会の奥伝部も、この秋には課程を修了する人達が出てくる時期にさしかかっています。 奥伝までは筆法、調墨法ばかりだったものをさらに発展させて、書や水墨画や文房四宝へ知識も深めて頂きながら作品製作に取り組んでいく為に、新たなるテキストを作成しています。 色々考えた結果、この奥伝を超えた「遊伝」という学習過程のテキストは、どなた様でも購入出来る半面、PCサイト上にはUPしないことに決定。 その内容の一端は、少しずつでも発表していきたいと思っていますが、「楽しんで描く」から「身につけて描く」へ発展していきそうだと感じています。 その学修に嬉々として向き合っていただくために、僕もさらなる勉学をしなければなりません。 それはとても喜びのあることで、かつて紐解いた書物を、毎日ひっくり返してはレポートをまとめていっている毎日です。 今後の日記では、覚書というか、備忘録的なものとして、勉強しなおした事柄を、末尾に記して行こうと思います♪ 鵜島 >>> 中国では書道を「書法」といいます。 「書道」は我が国に伝わってから呼ばれるようになった和名です。 中国における書法の始まりは、木簡(文字を記した木札)などに書かれた書でしたが、紙の誕生と深くかかわり、発展しました。 西暦105年、蔡倫(さいりん)によって発明された紙は、大量に生産できることから、それ以降、書法になくてはならないものになりました。 書法は、わが国には6~7世紀頃、筆や墨、そして紙の製法技術とともに中国から伝えられ、独自の書道として歴史を刻んできました。 聖徳太子による「法華経義疏」が、現存するわが国最古の書として知られています。 書は、政治、宗教、経済の発展を支えながら広く普及していきました。 その後平安時代になると、貴族社会のもと、文学など文化的な分野でも書道が発展していきます。この時代にはひらがなが発明されて、書道の世界はいよいよ日本独自の世界を築いていったのです。 さらに武家文化になると、手紙などの情報手段が必須となり、より日常的な面で書道が発展したのです。同時に、武士のたしなみ(教養)として、書道は教育の分野でもなくてはならないものになりました。 江戸時代には、武家社会はもちろん、町人の生活の中でも書道は欠かせないものとなりました。当時、多くの一般庶民は文字の読み書きが出来ませんでしたが、一部では現在の塾のような場所である寺子屋というところで習字を学ぶことができました。 この時代にも、書道はひとつのたしなみでもあったのです。 書道が、日常生活の中で重要な役割を果たし、教養として常識的に親しまれた状況は、太平洋戦争後、失われていきました。 (以下略) |
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