鵜島です。 36歳になりました。 福岡では雨が降っています。 祈りで屋根がつくれたら、とどうしようもないことまで考えてしまいます。 東北の震災はつらい様相のままです。 3日経ち、今日は混乱から統制への動きも見られる中、 水素爆発や物資の購入行動、計画停電の混乱、 そんな中報道になかなか浮上してこない宮崎での火山活動も心配です。 福岡では地震被害はなく、救済活動が活発化しています。 義援金募金、献血、チャリティー活動。 力を出しあうという本能的な愛が見えます。 特に、若い世代の行動力には目を見張るものがあります。 今回の原動力は「無力感」なのでしょうか。それとも「友愛」でしょうか。 「一人では考えられない未来への不安」を、必ず未来はあるんだと変えていこうとする「根源にある喜び」を全力で表現してくれています。 僕の周辺では、名もなきボランティアに従事される人が多く、どちらも素晴らしい行動力だと感じています。 街中、「今」をリアルに受け止め、「出来ること」を素直に考えています。 「出来ないこと」もそれによって、各個人、見えてきているようです。 僕の心はまったくさばけていなくて、 それでも、上記に「 」で入れた言葉は、 僕のこれまでの人生であり、矛盾であり、活力であり、指針であり、変わらない目的です。 被害がなかった福岡にいる為に、僕の中では何も変わっていきようのない事に、やるせなさを感じています。 心の中では、の話ですが。。 作家関係の友人たちは、義援金のために、販売方法に工夫をこらしていたり、 音楽、パフォーマンス関係の友人たちは、直接的にメッセージをこめ、活動してくれています。 一部、心ない人々から、売名行為だと、謗られる屈辱もあったそうですが、 「売名行為のどこが悪いん?!」とばっさり言ってくれた友人には感謝脱帽です。 「売名の後に、購入した制作物に愛着が生まれるわけではない」 「有名人やブランドだけが被災の記憶をやわらげてくれるわけではない」 「自分たちのやれることしか出来ない」 「その後に、名前が売れている結果でもそうではなくても」 「俺達も頑張るんだ」 という信念が今、僕のいる町にはふつふつと伝播していっているように思います。 願わくは、このまま事態が安定し、復旧への道が成ったとして、 その心と行動力を失わずにいてほしいと思います。 僕は正直、これまで活動を続けていく中で、日々不安とたたかってきました。 それでもここまで来れたのは、賛同者や協力者の皆さんや、愛すべき表現者たちの、本当にお蔭です。 でも、出逢う数に比べて、その行動力はあまりに少なく(数の問題ではないので、その場を共有した皆様とはなにものにも変えがたい財産をいただいてきました)、 結果だけを見れば、自分が間違った方向に進んでいるのではないかと、不安に潰れそうになったこともあります。 ここ数年は有り難いことに、 逆にこちらが支えてもらえるくらいエネルギーのあるアーティストや、スタッフに支えられてきたのが実際です。 今回、こんなにも多くの表現者がエネルギーを放っている。 表現者としては、出遅れた感があるのですが… 先にも書きましたように、僕の中では何も変わっていなく、 このエネルギーの持続を願ってやみません。 僕これ、君にあげる。 そんな素直な持ち物を持ちたい。 鵜島 拝 |
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