11月8日になりました。 どうも、鵜島です。 ずっと、心はどこにあるのか?という問いかけを人生の中でしてきました。 心。 感情。 霊。 魂。 想い。 考え。 それらの明確な位置づけが、ある種の安定につながるものと思っています。 それを文章化、または行動化するものとして、宗教はあるのだとも言えますが、四七日を迎えた今日、少しだけ今までとは違った心境です。 毎週、寿徳寺様にお越しいただいて、読経をしますが、お経を読んでいる間、僕は時々目を閉じています。 そんな時、脳裏に浮かんでくるのは様々な釈迦涅槃図であったり、曼荼羅であったりします。 これは僕の知識によるものでしょうけれど、その度にいつか自分でも、自分なりのそういった宗教画をまた、新しい解釈で描いてみたいと思うのです。 そんな風に思う中、心の位置づけがどうにも変化してきたように思います。 それは、 「心は僕の中にはない」 ということ。 また、「僕の外側にも見当たらない」ということ。 それなのに、僕にとっての個人的な「心」は「世界」である、と不遜にも思うのです。 個 即 全。全 即 個。の考え方になるのでしょうか。 読経していると、これまで探し当ててきた心の在り処は、どうにも希薄で、もっと広い空間を心と呼ぶような気がしてきました。 今はただ、これからの僕の書画人生において、この心境が、よい影響を及ぼすことを、なんとなく願っています。 拝 |
|