どうも、鵜島です。 最近お気に入りの言葉がふたつあります。 ひとつは、 >>> めんどうくさい という言葉からは何も生まれない。 >>> 出処は忘れましたが、これに似たような言葉に出会った時に、自分の中から生まれてきた言葉です。 で、ふたつめはコチラ。 >>> 1 足す 1 でよい 問題は、 足し続けることだ。
です。 これも何かを咀嚼( そしゃく )して、自分なりの言葉になったものだと思うのですが、記録がないので出処はわかりません。言葉は、瞬間瞬間、毎日10個前後は、メモする内容のモノがどんどんあふれてきます。 もう、何年前か、たぶん福岡で教室をひらいた時に気づいたのですが、「共有」するためには、言葉に出来ていないと、ちゃんと説明できません。 その先にある、ユニティ(一致、一体感)への到達もできません。 水墨画を教えるとき、僕がちゃんと説明できる言葉の中でしか、外因的な理解を得ることはできません。習字でもそうです。 直感で、僕の技やら経験やらを学ぶ人ばかりではありません。 言葉にする必要が、伝達者にはある、とおもいます。 もちろん直感すぐれている人もいれば、 伝達者の立場にいながら、難解な言葉を駆使するスタイルの人もいるでしょう。 でも、僕の価値観はあくまでも、「わかりやすく」です。 技術はすべて外面的なもの。 外面的なものがむつかしくなくてもよいと僕は考えます。 内面的なもので、必ず人は壁にぶつかります。 それは、どれだけ技術を追求した結果の壁だとしても、内面的なものに「技術の入り込む余地はない」のです。 内面がやがて迎える壁(スランプ、迷い)の手助けになるもの。 それは、外面の環境です。(あたりまえか) 僕は、そこを難しくしたくない。 しかしこれは、反面「甘え」を生む危険もあわせもっています。 伝達のための説明がちゃんと出来るように、様々な言葉をとらえていたい。 壁なんて、迷いなんて、どんどん超えていってほしい。 「できない」と墨筆で思ってもらいたくないのです。 軽やかに。楽しく。そして真面目に。 今週末、10/5(土)は毎月恒例の福岡書画教室。 今回も、楽しみです。 朴同 拝 |
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