教室に通ってくれている小学校六年生の女の子が、 夏の間、人の何倍も努力して習字をしました。 僕も一生懸命いい作 美術展に応募して、賞をもらった。 報告してくれたその笑顔と、頑張った時間が、僕らの宝物。 本当にうれしかったよ。 |
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11月8日になりました。 どうも、鵜島です。 ずっと、心はどこにあるのか?という問いかけを人生の中でしてきました。 心。 感情。 霊。 魂。 想い。 考え。 それらの明確な位置づけが、ある種の安定につながるものと思っています。 それを文章化、または行動化するものとして、宗教はあるのだとも言えますが、四七日を迎えた今日、少しだけ今までとは違った心境です。 毎週、寿徳寺様にお越しいただいて、読経をしますが、お経を読んでいる間、僕は時々目を閉じています。 そんな時、脳裏に浮かんでくるのは様々な釈迦涅槃図であったり、曼荼羅であったりします。 これは僕の知識によるものでしょうけれど、その度にいつか自分でも、自分なりのそういった宗教画をまた、新しい解釈で描いてみたいと思うのです。 そんな風に思う中、心の位置づけがどうにも変化してきたように思います。 それは、 「心は僕の中にはない」 ということ。 また、「僕の外側にも見当たらない」ということ。 それなのに、僕にとっての個人的な「心」は「世界」である、と不遜にも思うのです。 個 即 全。全 即 個。の考え方になるのでしょうか。 読経していると、これまで探し当ててきた心の在り処は、どうにも希薄で、もっと広い空間を心と呼ぶような気がしてきました。 今はただ、これからの僕の書画人生において、この心境が、よい影響を及ぼすことを、なんとなく願っています。 拝 |
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いったいどんな未来を、あなたは夢見ているのだろう。 >>> 11月7日になりました。 どうも、鵜島です。 まずは先週末、福岡へ恒例の「第一土曜日書画教室」へ行ってまいりました!! いつも来てくださる皆様方も、初めましてのDさん(上手かった!!)も本当にありがとうございました!! もっともっと分かりやすく、丁寧にやっていきたいと思っています。 次回は12/7です♪ 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 さて。。 >>> 最近、未来が見えるようになってきました。 ( ̄◇ ̄;) いえ、それは、とりもなおさず、『自分』が見えるようになってきました。 どこか、人は「未来」を「自分がなにもしなかった場合の延長」で考えてしまいがちです。 ところが「何もしない」人なんているわけがありませんよね。。 これまで僕は、未来という定義を少し人任せにしていた部分があって、 『未来とは誰かと歩むもの』と思っていました。 この、『誰か』ということを定義しなくては、未来は揺らいでしまいます。 もちろん、複数の未来を持つことが出来るのは、現状複数の生活や人格を表現できている人には理解しやすいと思います。 「生活は分かるところもあるけど、複数の人格!?」と思う人もいるでしょう。 そこに疑問を抱く間、人はある種のパラドックスにおちいると思うのです。 場所や場面や状況で人格が変わらないとするならば… むしろ、未来は一方向です。 多種の人格を学ぶ。 そして未来を共有する人々の人格に、また学ぶ。 その時想定した「未来」へと時間が経過した時に、「どんなじぶんであるか」 それは、「経験」が教えてくれるでしょう。 >>> そんな、大きくて、本質的な話の出来る人が、今、僕のそばにいてくれることは、本当に嬉しく、ありがたいことだと、 思うのです。 拝 |
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10月11日。享年73歳。
書家である父、鵜島瑞光が亡くなってから、10日が過ぎました。 鵜島朴同です。 2日前から仕事のあと病院に泊まり、迫り来る父親の死を感じながら、その時の為の準備をするということ。 誰にでも訪れることなのに、まるで、その辺りからは夢の中でボーっとしているようで。 それでもやるべきことを考えて、動いている自分の姿が不思議で。。 枕経から通夜、葬儀は安芸典礼さん、寿徳寺さんのあたたかいご指導と支えのもと、無事に喪主としての務めを果たすことが出来ました。 それでも7日ごとの法要、法的な名義の変更、財務処理、相続分配など、山のようにあって、とにかくちんぷんかんぷん… 人に言われるままに動いています。 数日間は、父の遺品整理にあてましたが、とにかく「捨てる」という概念のなかった父。 メモ、書籍の類いはそれこそ膨大で、その中で取捨選択をしています。 書画教室を運営していく私たちですから、今後の指針になるもの、父が打ち立てた理念のようなものを見落とすまいと紙束をめくっていますが、本当にすさまじい量で…まだ20分の1も目を通していません。 …ということは、200日、半年以上かかると言うことだろうか… 本当にね。 誰にでも訪れることなのに、すみません。 この10日間、まったく自分のことから逃げていました。平行してやるべき、自分のことから。 サボタージュでも怠慢でもなく、うーん、本当に、自失しているという感じ。 メモの類いを整理している間、「それは捨てるな」「それはとっとけ」「捨てたらお仕舞いじゃ」と、父に非難されているような気分でしたが、 ようやく、「早よ、せんか」と、新しい言葉が聞こえてきました。 そうすると、今まで死んでいった百人くらいの、友達や知人たちの表情や顔や仕草や会話の端々が僕の中を巡って、かきまわして、舞い上がって、 ようやく、着地いたしました。 自分のところへ、戻ってきました。 そして、今も生きて、頑張っている友達たちの顔がどんどんと浮かび上がってきます。 本当の強さなんてものは、そもそも人からもらうものではないぞ、朴同。 頑張らなくては。 この場を借りて、いつも応援してくださる皆様への、ご報告とさせていただきます。 |
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メモ。神無月第一週。 〉〉〉 命 内側。 魂は外に。 心の中には、心だけ。 行動であらわす。 ... 〉〉〉 つくられた人になるな。つくる人になれ。 〉〉〉 生きている間は、いきいきとしていなさい。 ゲーテ 〉〉〉 低きに流れる摂理。 謙虚さをうしなっては、何も流れてこない。 〉〉〉 人が休んでいる時に休まない。 天才でないものの、生き方。 〉〉〉 宇宙の中の一つの星として、自分をイメージしてみれば、 生まれてきたことの意味が、よく分かる。 〉〉〉 自分から率先して近づく。 〉〉〉 鎖骨で感じる。 〉〉〉 坂村さんの言葉。 「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一 拝 |
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